2009年09月26日
マチナトからグスクへ



一説には、鎮西八郎為朝さんが流れ着いて舜天の父親で妻子を残して行ってって感じで「待つ港」が牧港なんだって、歴史ガイドさんが。
ガマの中は蒸し暑い。
浦添グスクあたりをかつては「渡嘉敷」と呼んでいたらしい。おもろそうしに出てくるんだとか。
また「浦添」という名は「浦々を襲う=うらおそい」から来ていると、ようどれ館の展示パネルにある。
ようどれ館には、ようどれの一部を復元した部屋がある。大人は入館料100円と大変リーズナブルになっております。
Posted by おくに at 12:01│Comments(0)